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攻殻機動隊は見てて考えさせられるからマジオススメ

どうも私服でスカートはいたらすごく変な感じがした東です/
私は通常ズボンなのでどうにも違和感が…てか思ってたよりスカートが短かったってのもあるんですがorz

まあ、そんなことはさておき。暇人東の思考吐露第二弾です。
実はやることいっぱいあって暇じゃないんだけどやること全部やってないから暇とか言えない。明日こそは計画通りに生きるんだ…!
計画:流れよわが涙と警官は言ったとアンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読む。あわよくばカラマーゾフあるいは白鯨を読み進める
失敗したら笑ってやって下せw


この間、自サイトのabout見直してて驚きました。私、「生きる事に意味を見出したいけど本当は意味なんて欲しくない」なんて書いてたんですね。
それで思いだしたのですが、人生に意味はあるのか、という問いに対して自分なりに答えが出ていたんです。それも半年くらい前に。
私は、ずっと疑問でした。「誰しも意味があって生まれてくる。だから、自殺してはいけない。」こんな風なセリフが割とよくドラマなどで使われていますが、本当に誰の人生にも意味があるのか?と。
こういう書き方をすると誤解されてしまうかもしれませんが、死を奨励している訳ではありません。
しかし、意味、意義を既に持つ、あるいは与えられて生まれてくるというのは実に不思議な話です。
現代の日本では、普段無神論者っぽいのにどうしようもなくなると神頼みしたくなるって人が多いのではと思うのですが、このセリフを見ると、どうにも神ありきが無意識下に根付いているように思えてなりません。なぜなら、もし、個人にそれぞれ使命を与えこの世に産み落とさせるとすれば、それを完全に制御する何かが必要であり、そんなファンタジーも真っ青の漠然とした魂の世界だの完全制御だのを行うのだとすれば、私たちの知識のなかで該当するものは神のみです。つまり、そういった存在を前提としていなければ、こういうことは簡単に言えないという訳です。だって、人間は使命を帯びて生まれてくるという言葉の理由が、「それが自然の摂理だからだ」と言われたところで首をひねるばかりですが、「神様がそうしているからだ」と言われると、何となくそんな気がして納得してしまいがちです。
という訳で、無神論者であると自覚し宣言している私は、個人が使命を与えられ生まれてくるということを否定します。しかし、確実にこれは天命であり俺の使命だと思える行動があります。これは私もあるのだと信じたい。でなければ、私は今すぐに何もかもやる気をなくすでしょう。それはしたいことがないのと同じで酷い苦痛だと私は思うからです。
私は、使命は与えられるものではなく手に入れるものだと思っています。
なぜなら、人は生まれて成長する段階で可能性を取捨して行きます。赤ちゃんはこの先なんにだってなる可能性がありますが、成長するにつれ、好みができたり周りの都合だったりで可能性は絞られて行きます。「やったこと」に関しては、つぎ込んだ時間と熱意と、それに伴う技術が、どれほど比率が悪くとも比例している筈で、技術が高いならば、そのジャンルで成功する可能性は高まる筈です。あるいは、追い込まれてそれしか出来ないという状態も想像できますが、前向きだろうと後ろ向きだろうと、可能性としては同じだと思います。
そもそも、これが使命だ!と思うのはその人自身で、言ってしまえば自分で勝手に自分に使命を課した訳です。しかし、これは私は、自分で使命を勝ち取ったのだとそう思います。
よって、私は使命は負って生まれてくるものではなく、自分で得るものだという答えを導き出した訳です。


この間見た攻殻S.A.Cの機械の時間、あれでタチコマが導き出した神の概念、あれすごく共感しました。「神は0と似た概念」
0は不在を表している。数字が、数がないことを表している。例えば、一つ二つと数を数えるが、何もなければゼロという。不思議ですよね、数がないことを同じ数で表している訳です。
つまり0は、数字上での「何もない」が必要なとき、「何もない」がここにありますよと言う為の記号、タチコマの言葉で言えば「体系を体系たらしめるために要請される意味の不在を否定する記号」な訳です。
さて、では何故神と並列させることが出来るか。
神は誰も見たことがない。いるかもいないかも分からない。しかし、人々の心を支える為には、あった方がいい。
ないものに名前をつけて、在るものにしてしまおう。それが神、ではないでしょうか。
だって、実際私たちのいうところの神という存在が実在したとして、その人(もの?それ?)たちが本当に「神」という固有名詞で呼ばれているかは分からない訳ですし、神というのはただの言葉、ただの記号な訳です。
そして、上の話と連動させると、神が0であるならばその可能性は無限大。何もないってことはなんでも選択できるって訳です。まあ、神の場合すべては我々の想像次第、ってことですが。(神は居るか居ないかも分からないけど、取り敢えずその存在は認められている。ということは、人が百人居れば百通りの神(のイメージ)があるわけで、そんな想像の神どれも可能性としては否定できないから、可能性は無限大)



すっきり!

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