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死ぬ=自己の喪失

どうも、「勉強したくねー」な東です/←
以下は私がぶつぶつ考えた成れの果てです。
また吐き出しただけのものなので、読んでやろうじゃねえのって方はお時間のあるときにどうぞー
ちなみに例の如く読み返してないので誤字脱字変文はご愛嬌。



最近なんだか、生きるということがとてつもなく些末なことに思える。
私には、生きることより考えることの方が重要なように思えてならない。
だって人間という生き物がほかの生物より優れている点と言えばその程度で、他は残虐としか言いようがない。
ただ様々なものごとを考えることができる。(その些細な差異がどれほどに重大な違いかは分かってるけど)それだけで他の生き物をいいように扱って、すべてに対して、まるで我がもの顔なのだ。
ただ、考えるためには生きるしかない。もし死んでしまえば、考えるために必要な器官は徐々に衰弱、壊死し機能を果たさなくなり、ものを考える上で重要な(一人称の主体であり、完全なる個人としての)「私」は消滅する。
霊魂が残るなんて話しも聞くが、そこに「私」は存在していない。思考する器官を失い、発言する器官を失い、受信する器官もない。これでは、考えることはおろか感じることさえ出来ない。たとえそれっぽいとしても、思考も感受もしないものなどその当人であるはずがない。人が人を他人だと判断するには顔かたちは然程重要ではなく、感じ方考え方発し方の方が断然重要。(しかしこの場合、その人物の情報の蓄積と最新つまり相手の一つ前の印象というのが大きく関わってくること、その面で重要な脳の記憶というものは曖昧でしかも改ざんされやすいということが難点。まあ、ある日突然性格や性癖が変わってしまうことを「人が変わる」なんていうから当たらずとも遠からずぐらいは期待したい)
つまり、性格性癖すべての根源である思考と感受が死んだ時点で、当人と見分ける術は姿形と細胞・遺伝子の情報に限られてしまう訳で、でもそれらによって同一認定が成立したとして、その人の自己は失われてしまっている訳だから、その遺体と生きていた頃のその人とを結びつけるのは難しい。
言い方は悪いがものとなってしまうのだ。認識としては。
だからこそ人間は他人の死(自分以外の、という意味での他人。そもそもかかわり合いのない人の死に関しては、人はあまりに寛大だし興味を持たないからこれには当てはまらない)を乗り越えられるのだと私は思う。
だって、もし死んだとされるその人が、相も変わらずその人らしく考え感じ発信する(それも人間がするもっともらしい方法で)とすれば、その人が死んだなどと受け入れられるはずがない。まあこの場合は、それのどこが死んでいるのかとその点で受け入れられないというのもあるだろうが。
まあなんにせよ、「私」という自己が死んだ時点でその当人特有の考え方は死んだということになる。
たとえ、その死が自己の思想の終着(あえて答えとは言わない)で自分が自分であるがためにそれを選んだのだとしても、それがいわゆる寿命でないのなら、すごくもったいない。私はそう思う。

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Comment

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tobi.  2010.07.05 Monday
ナルホドナルホドヽ(○∀○ノ

え、なに?

いや、理解してるってマジで。

管理人 2010.07.06 Tuesday 07:38

ちょっww勉強どうしたのwww←人のこと言えn

tobiさ目が白いぞ…!<●><●>ジー
tobi.  2010.07.07 Wednesday
白くなんかないぜ~、みろこのつぶらな瞳を!
<○><○>
・・・あれ、おかしいな、さっきまでつぶらだったんだぜ

勉強、さぼりついでにブログにて吐いてきまおぇえええええ
ノシ

管理人 2010.07.08 Thursday 07:51

ま、まままさか……白内障!?(かなり進行してますね、短時間に)
おーおつかれさまーでした。

どこででもちょっとでも吐くとちょい楽になるっしょ?
tobi.  2010.07.08 Thursday
違いますね、めがねの反射ですね
反射なう

発言迷子w

管理人 2010.07.09 Friday 00:16

くそっ……これがメガネの特権か……!←
どうしたwww

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